責任を果たすことは、やり遂げることだろう [閑話休題]
どうも、わたしです。
日経新聞のカズ(三浦知良)選手のコラム、”サッカー人として”の、
9月28日分が面白かったので、
要旨を紹介するとともに、思うところを書きたいと思います。
コラムは、”責任を取るということ”と題されたもの。
(コラムがカズ選手の一人称で書かれているので、ここでもそうさせてもらいます)
フットサル協会からの強い要請で日本代表候補に加わることを決めた。サッカー界全体のことを考えて、協力することに決め、決めた道を貫く。
J1昇格がかかる時期に横浜FCを離れると困るという監督の考えも知っている。自分もクラブも監督も協会もプラス面もマイナス面も重々承知して、その上で悩みながら決断を下した。人がやったことのない道を通るのは苦労するが、そういった過程がなければ今の日本代表の発展もなかっただろう。自分はサッカー選手だから横浜FCを最優先し、かつ時間の許す限りフットサルに加わりたい。大変だが、決断したのは自分。責任は自分で取る。
責任とはなんだろう。結果が出なければ「すみません」と謝ること?。「もうフットサルはやりません」と辞めること?。違うはず。全力を尽くすことが責任をとることと僕は思う。勝っても負けてもそれをやる。目に見えた数字で現れなくても、時を隔ててから「あの選択があったから」と思えることもある。自分にしか出来ないことなのなら覚悟を決めて勝負する。フットサルもやると決めたら責任を果たす、誰がなんと言おうと。
とコラムは締められました。
ライバルである横浜FCは、プレーオフ進出の可能性も高くなっており、
この時期にチームの精神的支柱である、カズ選手の存在というのは重要でしょう。
その中で、フットサルへの挑戦もするというのは、
過酷だと思います。
プロ選手である以上、チームへの貢献がおろそかになってしまうことは出来ないでしょうし、
次の契約にも響いてくるでしょう。
何より、
サポーターが黙っていないでしょう。
それらの声を黙らせるには、
横浜FCでも、フットサルでも、
これ以上できないというような全力でのプレーを見せて、
やりぬくしかないのでしょう。
しかし、それでも、
片方だけをやるという選択をせず、
日本の未来のため、フットサルにも挑戦するというのが、
カズ選手の生き方であり、すごいところだと尊敬します。
昇格は譲りませんが、
サッカーでも、フットサルでも、
全力のプレーで、みんなを引っ張っていって欲しいと思います。
さて、
カズ選手も言っている、
責任の話が、重要だと思います。
政治、行政、原発問題、いじめ問題など、
責任がどこにあるのかという議論が、
このところ多いように思います。
しかし、大事なのは、
誰かが辞めるということや、賠償をするということではなく、
もらった役職に対し、
これでもかというほど打ち込んでいず、おろそかにしているからこそ起こるような問題が、
起こっているからこそ、
問題ではないかと思っています。
いじめ問題について、これでもかというほど真剣に取り組んでいる教育委員に対し、
”いじめ問題が起こったから責任を取れ”、
なんていうことは、みんな言わないでしょう。
やり方というのも確かに大事ですが、
それと同じくらい大事なのは、”姿勢”であって、
自分の仕事に責任を持ち、
やり遂げる、やり遂げようと全力を尽くす”姿勢”に、
その人の感じている”責任の大きさ”を見ることが出来るように思うのです。
だから、”辞める”、”謝る”ということではなく、
”やり遂げる”、”全力でやる”という責任を持つことが、
やはり大事なのではないでしょうか。
プロサッカーでは、
個人の責任と、チームとしての責任があるでしょう。
個人としては、与えられた目標やポジションに対し、
出来なかったとしても、もしくは、不満があったとしても、
全力でやる、やり遂げる必要があるでしょう。
これができていなければ、
味方であるチームメイトから、認めてもらえないかもしれないのです。
またチームとしては、
目標に対し、組織を崩さずに、
全力で向かっていかなければならないでしょう。
これがぶれてしまったり、曖昧になってしまえば、
サポーターやスポンサーから、責任論というのも、出てくるかもしれません。
しかし、これ以上できない、やりようがないと、
みんなが思えるところまでやることで、
仮に失敗に終わってしまっても、それは責任を果たしているといえるでしょうし、
誰も、責任を取らせようなんて言わないでしょう。
われわれが見たいのは、
責任を取って”辞める”姿ではなく、
どんなときも最後までやりぬき、最後に笑顔に変えていくような、努力の”姿勢”。
そして、自分たちも、
その姿を見たならば、応援という行動で、やりぬかないといけないでしょう。
”責任”とは何か、
後でとるものでなく、
いままさに、自分のやるべき仕事を、
誰も文句が出ないほどにやり抜き、やりつくす、
そういう姿勢を、持ちたいものですね。
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日経新聞のカズ(三浦知良)選手のコラム、”サッカー人として”の、
9月28日分が面白かったので、
要旨を紹介するとともに、思うところを書きたいと思います。
コラムは、”責任を取るということ”と題されたもの。
(コラムがカズ選手の一人称で書かれているので、ここでもそうさせてもらいます)
フットサル協会からの強い要請で日本代表候補に加わることを決めた。サッカー界全体のことを考えて、協力することに決め、決めた道を貫く。
J1昇格がかかる時期に横浜FCを離れると困るという監督の考えも知っている。自分もクラブも監督も協会もプラス面もマイナス面も重々承知して、その上で悩みながら決断を下した。人がやったことのない道を通るのは苦労するが、そういった過程がなければ今の日本代表の発展もなかっただろう。自分はサッカー選手だから横浜FCを最優先し、かつ時間の許す限りフットサルに加わりたい。大変だが、決断したのは自分。責任は自分で取る。
責任とはなんだろう。結果が出なければ「すみません」と謝ること?。「もうフットサルはやりません」と辞めること?。違うはず。全力を尽くすことが責任をとることと僕は思う。勝っても負けてもそれをやる。目に見えた数字で現れなくても、時を隔ててから「あの選択があったから」と思えることもある。自分にしか出来ないことなのなら覚悟を決めて勝負する。フットサルもやると決めたら責任を果たす、誰がなんと言おうと。
とコラムは締められました。
ライバルである横浜FCは、プレーオフ進出の可能性も高くなっており、
この時期にチームの精神的支柱である、カズ選手の存在というのは重要でしょう。
その中で、フットサルへの挑戦もするというのは、
過酷だと思います。
プロ選手である以上、チームへの貢献がおろそかになってしまうことは出来ないでしょうし、
次の契約にも響いてくるでしょう。
何より、
サポーターが黙っていないでしょう。
それらの声を黙らせるには、
横浜FCでも、フットサルでも、
これ以上できないというような全力でのプレーを見せて、
やりぬくしかないのでしょう。
しかし、それでも、
片方だけをやるという選択をせず、
日本の未来のため、フットサルにも挑戦するというのが、
カズ選手の生き方であり、すごいところだと尊敬します。
昇格は譲りませんが、
サッカーでも、フットサルでも、
全力のプレーで、みんなを引っ張っていって欲しいと思います。
さて、
カズ選手も言っている、
責任の話が、重要だと思います。
政治、行政、原発問題、いじめ問題など、
責任がどこにあるのかという議論が、
このところ多いように思います。
しかし、大事なのは、
誰かが辞めるということや、賠償をするということではなく、
もらった役職に対し、
これでもかというほど打ち込んでいず、おろそかにしているからこそ起こるような問題が、
起こっているからこそ、
問題ではないかと思っています。
いじめ問題について、これでもかというほど真剣に取り組んでいる教育委員に対し、
”いじめ問題が起こったから責任を取れ”、
なんていうことは、みんな言わないでしょう。
やり方というのも確かに大事ですが、
それと同じくらい大事なのは、”姿勢”であって、
自分の仕事に責任を持ち、
やり遂げる、やり遂げようと全力を尽くす”姿勢”に、
その人の感じている”責任の大きさ”を見ることが出来るように思うのです。
だから、”辞める”、”謝る”ということではなく、
”やり遂げる”、”全力でやる”という責任を持つことが、
やはり大事なのではないでしょうか。
プロサッカーでは、
個人の責任と、チームとしての責任があるでしょう。
個人としては、与えられた目標やポジションに対し、
出来なかったとしても、もしくは、不満があったとしても、
全力でやる、やり遂げる必要があるでしょう。
これができていなければ、
味方であるチームメイトから、認めてもらえないかもしれないのです。
またチームとしては、
目標に対し、組織を崩さずに、
全力で向かっていかなければならないでしょう。
これがぶれてしまったり、曖昧になってしまえば、
サポーターやスポンサーから、責任論というのも、出てくるかもしれません。
しかし、これ以上できない、やりようがないと、
みんなが思えるところまでやることで、
仮に失敗に終わってしまっても、それは責任を果たしているといえるでしょうし、
誰も、責任を取らせようなんて言わないでしょう。
われわれが見たいのは、
責任を取って”辞める”姿ではなく、
どんなときも最後までやりぬき、最後に笑顔に変えていくような、努力の”姿勢”。
そして、自分たちも、
その姿を見たならば、応援という行動で、やりぬかないといけないでしょう。
”責任”とは何か、
後でとるものでなく、
いままさに、自分のやるべき仕事を、
誰も文句が出ないほどにやり抜き、やりつくす、
そういう姿勢を、持ちたいものですね。
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