太田選手への個人的思い入れ<前編> [ジェフ選手]
なんとなく書くことが思いつかないので閑話休題。
少々お付き合いください。
太田圭輔選手プロフィール(ジェフ公式)
わたしがこうやって書いてしまうのもおこがましいけれど、
ジェフの14番太田圭輔選手。
言わずと知れたジェフの超速の「槍」である。
わたし個人と太田選手にはなんの関係もないのだが、
私は昔から個人的に太田選手に思い入れがあって、応援している。
今日はそんな話を書いてみようと思う。
<前編>15番が突っ込んでくる-衝撃だった初観戦
まず、太田選手は、わたしが「ジェフに来てくれないかなあ」と思っていて、密かに想いが通じて獲得された選手です。ちなみにそんな選手は過去2人だけで、もう1人は「佐伯直哉」選手です。両方2009年入団で、個人的には当たり年でした(残念ながらチームは降格)。
で、太田選手への思い入れは、2001年までさかのぼる。
以下勝手に敬愛をこめて呼び捨てにさせてもらいます。
当時、まだ学生だった私。ジェフの試合はよく見に行ったけど、市原臨海は遠く、車で行けば駐車場から出るのに1時間近くかかり、なかなかしんどかった覚えがある頃。
そんな時、レッズファンの友人に誘われて、浦和レッズ対ヴァンフォーレ甲府の天皇杯の試合を見に行ったことがあった。
記録を見直してみると、2001年12月9日に大宮サッカー場(現NACK5スタジアム大宮)で試合があり、
浦和2-0甲府
という結果になっている。寒い時期だったなあ、というのと、大宮に行ったというのは覚えているが、誰が点とって、どうやって浦和が勝ったのかは全く覚えていない。全くの付き添いだった。
全くの付き添いの私が、ゴール裏に連れて行かれ、即席で「うぃーあーれっず」とか言って応援していた。まったくポリシーとか無かった当時のわたし。
で、その試合で、唯一覚えているのが敵側の選手であった太田圭輔だ。
NACK5スタジアム大宮は凄くゴール裏のスタンドとピッチが近い。
昔、日立台でアレックスが応援旗で殴られたことがあったが、サポと選手の距離はあんな感じだと思ってください。
私と友人は、前半ちょうどこっちに攻めてくるヴァンフォーレの右サイドの前にいた。
そこをものすごい勢いでこっちに駆け上がってくるちっちゃいFWの選手に釘付けになった。それがまだ弱冠20歳の太田だった。
今でこそヴァンフォーレはジェフより上位リーグに行ってしまったが、当時、ヴァンフォーレはJ2のお荷物的存在で、その年の成績も最下位。浦和レッズとは明らかな戦力差があり、当時のヴァンフォーレに私の知っている選手なんていなかった。そしてレッズの庭、大宮で、ほとんどの人間がヴァンフォーレのサッカーに期待していなかった。私もそうだった。
ヴァンフォーレのサッカーに興味を持とうなんて思っていなかったのだ。
そこをものすごい勢いで小さいやつが駆け上がってきたのである。
そしてレッズのDFを振り切り、クロスを何本もあげる。止まれずにスタンド近く、わたしの目の前まで突っ込んでくる。
前半15分もすると釘付けになった。
なんだこいつは。
なんかとんでもないやつがいる。
全体の中で1人だけ別次元のスピードで走り回っていて、そして、ボールを持てばこっちに向かって突っ込んでくる勢いだ。
当時、プロのFWは大きい選手だけだと思っていた私は、びっくりした。とにかくサイズが小さかったのだ(プロフィールだと太田選手は169cm、わたし本人が178cmなのでそう感じた。)。
レッズのDF相手にも十分通用しており、サイドから切れ込んでは、クロスを上げ、シュートを放った。
強烈なインパクトだった。
こいつは面白い。
こういうやつがプロサッカーをかき回したらどんなに楽しいだろう。
レッズ側のゴール裏でチャントを唄いながらそんなことを考えていた。
そして、「甲府の15番太田」というのはすぐ覚えたのである。
最初に太田を観たのはそんな2001年だった。
続きます。
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太田圭輔選手プロフィール(ジェフ公式)
わたしがこうやって書いてしまうのもおこがましいけれど、
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わたし個人と太田選手にはなんの関係もないのだが、
私は昔から個人的に太田選手に思い入れがあって、応援している。
今日はそんな話を書いてみようと思う。
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まず、太田選手は、わたしが「ジェフに来てくれないかなあ」と思っていて、密かに想いが通じて獲得された選手です。ちなみにそんな選手は過去2人だけで、もう1人は「佐伯直哉」選手です。両方2009年入団で、個人的には当たり年でした(残念ながらチームは降格)。
で、太田選手への思い入れは、2001年までさかのぼる。
以下勝手に敬愛をこめて呼び捨てにさせてもらいます。
当時、まだ学生だった私。ジェフの試合はよく見に行ったけど、市原臨海は遠く、車で行けば駐車場から出るのに1時間近くかかり、なかなかしんどかった覚えがある頃。
そんな時、レッズファンの友人に誘われて、浦和レッズ対ヴァンフォーレ甲府の天皇杯の試合を見に行ったことがあった。
記録を見直してみると、2001年12月9日に大宮サッカー場(現NACK5スタジアム大宮)で試合があり、
浦和2-0甲府
という結果になっている。寒い時期だったなあ、というのと、大宮に行ったというのは覚えているが、誰が点とって、どうやって浦和が勝ったのかは全く覚えていない。全くの付き添いだった。
全くの付き添いの私が、ゴール裏に連れて行かれ、即席で「うぃーあーれっず」とか言って応援していた。まったくポリシーとか無かった当時のわたし。
で、その試合で、唯一覚えているのが敵側の選手であった太田圭輔だ。
NACK5スタジアム大宮は凄くゴール裏のスタンドとピッチが近い。
昔、日立台でアレックスが応援旗で殴られたことがあったが、サポと選手の距離はあんな感じだと思ってください。
私と友人は、前半ちょうどこっちに攻めてくるヴァンフォーレの右サイドの前にいた。
そこをものすごい勢いでこっちに駆け上がってくるちっちゃいFWの選手に釘付けになった。それがまだ弱冠20歳の太田だった。
今でこそヴァンフォーレはジェフより上位リーグに行ってしまったが、当時、ヴァンフォーレはJ2のお荷物的存在で、その年の成績も最下位。浦和レッズとは明らかな戦力差があり、当時のヴァンフォーレに私の知っている選手なんていなかった。そしてレッズの庭、大宮で、ほとんどの人間がヴァンフォーレのサッカーに期待していなかった。私もそうだった。
ヴァンフォーレのサッカーに興味を持とうなんて思っていなかったのだ。
そこをものすごい勢いで小さいやつが駆け上がってきたのである。
そしてレッズのDFを振り切り、クロスを何本もあげる。止まれずにスタンド近く、わたしの目の前まで突っ込んでくる。
前半15分もすると釘付けになった。
なんだこいつは。
なんかとんでもないやつがいる。
全体の中で1人だけ別次元のスピードで走り回っていて、そして、ボールを持てばこっちに向かって突っ込んでくる勢いだ。
当時、プロのFWは大きい選手だけだと思っていた私は、びっくりした。とにかくサイズが小さかったのだ(プロフィールだと太田選手は169cm、わたし本人が178cmなのでそう感じた。)。
レッズのDF相手にも十分通用しており、サイドから切れ込んでは、クロスを上げ、シュートを放った。
強烈なインパクトだった。
こいつは面白い。
こういうやつがプロサッカーをかき回したらどんなに楽しいだろう。
レッズ側のゴール裏でチャントを唄いながらそんなことを考えていた。
そして、「甲府の15番太田」というのはすぐ覚えたのである。
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続きます。
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