サポと選手の絆はどうやって育まれるのだろうか [ジェフサポ]
ちょっと前置きが長くなるけど、ちゃんとサッカーの話をします。
あしからず。
先日、友人の結婚式に出てきました。
きれいなチャペルで行われたその式典は、友人の新しい夫婦の絆を誓い合うすばらしい式となりました。
神父はイタリア人で、ローマ教皇庁でも地位のある御仁だそうで、
わたしが数分間、その言葉を聞いただけでも、
パフォーマンス用の”使えない助っ人外国人”ではなく、
確実にわたしよりも”人間の格が上”だということがわかった。
そういう人間としての先輩に見てもらい、厳粛な”式典”を行うことで、
人間は1つの絆を確かめ合い、強い結束を造っていくのだ。
そんな神聖な結婚式の最中、
信心深くないわたしは、こんなことを考えていた。
”サッカー選手はどうやって絆をつくっていくのか”
当然、サッカー選手たちに、チームや選手同士の”結婚式”のようなものはない。
結団式はあるだろうが、用意されたもので、自分たちで作り上げたものではないだろう。
その中で、1シーズンともに戦い続け、ミスしたときもカバーしてくれるという強固な絆は、
どのように作られるのだろうか。
ここからは想像を脱しないが、
基本は、「真剣さ」と「真摯さ」なのだろう。
チームという一つの組織を作るために、どれだけ真剣にやっているか。
その真剣な姿を見て、周囲はやっと信頼を置いてくれるのだろう。
どんなにすごいプレーヤーでも、
勝手にドリブルして、勝手にゴールを取ってくるような奴には、
パスは来ないだろう。
チームのために真剣に走り、真剣に汗をかき、戦術を真剣に考え、そして、
チームのため仲間のために真剣に笑ったり怒ったりできる奴に、
パスはくるのだ。
もっとも夫婦の絆もそうやって深まっていくのかもしれないが。
サポと選手の絆はどうだろう。
真剣で、真摯な、気迫あふれるプレーを見れば、
サポは付いていくだろう。
その真剣さに打たれ、選手を信頼するだろう。
そうすれば、サポは、それに応えて真剣に応援をするのだ。
しかし、選手から見たサポはどうだろうか。
もし、結果が付いてこないから、応援に手を抜くようなことがあったとしたら、
選手の、サポに対する信頼は離れていくのかもしれない。
サポと選手の間に、結婚式や結団式のような厳正な”式典”はない。
来年になれば、一部の選手たちはチームを去ってしまう、
そんなくっついたり、離れたりの、
悲しい関係かもしれない。
しかし、そんな関係はさびしすぎるというものだ。
サポが、真剣に、真摯に応援していれば、
選手も”プレー"という形で、我々に”パス”を出してくれるだろう。
選手同士も、そして選手とサポが、夫婦のような強い絆で結ばれた関係が作れた時、
それは素晴らしい関係であると思うし、
決して式典などなくても、それぞれの姿勢で、そういう関係を確かめ合っていけるように、
なりたいものだ。
なんてことを友人の結婚式の間に考えていました。
ごめんね、友人よ。
最後に、友人夫婦のこれから作る新しい家庭が、
楽しく笑いに満ちた”劇場”で、
いつも帰れる場所である”ホーム”となれるよう、
祈りを捧げたい。
どんな時もお互いを信じられる関係は、必ず作れるのだ。
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あしからず。
先日、友人の結婚式に出てきました。
きれいなチャペルで行われたその式典は、友人の新しい夫婦の絆を誓い合うすばらしい式となりました。
神父はイタリア人で、ローマ教皇庁でも地位のある御仁だそうで、
わたしが数分間、その言葉を聞いただけでも、
パフォーマンス用の”使えない助っ人外国人”ではなく、
確実にわたしよりも”人間の格が上”だということがわかった。
そういう人間としての先輩に見てもらい、厳粛な”式典”を行うことで、
人間は1つの絆を確かめ合い、強い結束を造っていくのだ。
そんな神聖な結婚式の最中、
信心深くないわたしは、こんなことを考えていた。
”サッカー選手はどうやって絆をつくっていくのか”
当然、サッカー選手たちに、チームや選手同士の”結婚式”のようなものはない。
結団式はあるだろうが、用意されたもので、自分たちで作り上げたものではないだろう。
その中で、1シーズンともに戦い続け、ミスしたときもカバーしてくれるという強固な絆は、
どのように作られるのだろうか。
ここからは想像を脱しないが、
基本は、「真剣さ」と「真摯さ」なのだろう。
チームという一つの組織を作るために、どれだけ真剣にやっているか。
その真剣な姿を見て、周囲はやっと信頼を置いてくれるのだろう。
どんなにすごいプレーヤーでも、
勝手にドリブルして、勝手にゴールを取ってくるような奴には、
パスは来ないだろう。
チームのために真剣に走り、真剣に汗をかき、戦術を真剣に考え、そして、
チームのため仲間のために真剣に笑ったり怒ったりできる奴に、
パスはくるのだ。
もっとも夫婦の絆もそうやって深まっていくのかもしれないが。
サポと選手の絆はどうだろう。
真剣で、真摯な、気迫あふれるプレーを見れば、
サポは付いていくだろう。
その真剣さに打たれ、選手を信頼するだろう。
そうすれば、サポは、それに応えて真剣に応援をするのだ。
しかし、選手から見たサポはどうだろうか。
もし、結果が付いてこないから、応援に手を抜くようなことがあったとしたら、
選手の、サポに対する信頼は離れていくのかもしれない。
サポと選手の間に、結婚式や結団式のような厳正な”式典”はない。
来年になれば、一部の選手たちはチームを去ってしまう、
そんなくっついたり、離れたりの、
悲しい関係かもしれない。
しかし、そんな関係はさびしすぎるというものだ。
サポが、真剣に、真摯に応援していれば、
選手も”プレー"という形で、我々に”パス”を出してくれるだろう。
選手同士も、そして選手とサポが、夫婦のような強い絆で結ばれた関係が作れた時、
それは素晴らしい関係であると思うし、
決して式典などなくても、それぞれの姿勢で、そういう関係を確かめ合っていけるように、
なりたいものだ。
なんてことを友人の結婚式の間に考えていました。
ごめんね、友人よ。
最後に、友人夫婦のこれから作る新しい家庭が、
楽しく笑いに満ちた”劇場”で、
いつも帰れる場所である”ホーム”となれるよう、
祈りを捧げたい。
どんな時もお互いを信じられる関係は、必ず作れるのだ。
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