太田選手への個人的思い入れ<中編> [ジェフ選手]
太田圭輔選手プロフィール(ジェフ公式)
いやー、まったくテンションがあがりません・・・
夏バテ?
それと、閑話休題のつもりがすっかり長くなってしまった。
書きためておいた、
わたしの太田選手の思い入れを書きつづった中編です。
少し間が空いてしまったが、前編を読んでない方は 前編からどぞ。
太田選手への個人的思い入れ<前編>
<中編>情報のない冬の時代、そして”我が”チームへ
2001年の天皇杯で、初めて太田選手を見て、勝手に大注目選手にしてしまったわたし。
あんな小さい選手が、Jの舞台をかき回してくれたらどんなに楽しいだろう。
それが出来るスピード、スタミナ。そして圧倒的な存在感。それを感じることが出来たのだ。
弱冠20歳の選手だ。やってくれるはず。
そう思った。
2001年の甲府での成績は、リーグ戦43試合出場11得点(J2)。
失礼な言い方だが、当時J2のお荷物的存在であったヴァンフォーレのFWだったのである。驚異的な数字だった。
数字以上に、あの初観戦で、ゴール裏にいたわたしの席の前に突っ込むような勢いでプレーした太田にほれ込んでしまったのだ。
しかしその後、この甲府で結果を出したことで、太田は所属元のエスパルスにレンタルバックされる。
そこから、わたしの個人的な、情報の冬の時代がやってくる。
当時、大学を卒業するかしないかという時期だったわたし。
TVは何とかあるが地上波がやっと。
ネットは見ることが出来たが、当時は今ほどサッカー情報はあふれておらず。
まだブログなんてものも無かった(と思う)。
スポーツ誌のサイトとかでスタッツを見るのが楽しみだった。
ジェフの情報を見た後、エスパルスの情報を見る。
なんとか交代選手だけでなく、ベンチ入り選手まで載っているサイトを探し、ベンチにいるか見るのである。
あー今日もいなかった。
あ、今日はベンチにいる。
お、今日はちょっと出場した。
と、こんな感じの情報だった。
当時のエスパルスの主力がどんなメンバーだったのかは正直覚えていない。
エスパルスについて当時の私が欲しかった情報は、太田が活躍できたかだけだったのだ。
ここ数年の清水のメンバーを考えてみる。
サイドハーフは小野伸二、藤本淳吾、FWならヨンセン、岡崎慎司、高原直泰という名前が浮かぶ。
おそらく2002~2004年くらいでは、安貞桓、澤登、アラウージョ、平松あたりがレギュラーを争った選手だろう。
そんなエスパルスというチームで太田が出場するのは容易ではなかったようだ。
情報の冬の時代が続いたのであった。
ただ、太田という選手は必ず表舞台に来てくれると信じていた。
2004年だったろうか。プレステの「さかつく」を買った。
わたしの出身地である習志野市に、「コリエンテ習志野」というチームを作った。
始めて取った選手はUAE国籍の外国人FWだったが、2人目はエスパルスから『太田圭輔』を引き抜いた。
わたしはジェフファンであるにも関わらずである。
”我が”チームの『太田圭輔』はJ1得点王となり、”我が”「コリエンテ習志野」はJ1で優勝を果たしたのであった。
その後、ゲームには飽きてしまったので、”我が”チームの『太田圭輔』は引退するまで”我が”チームの主力としてがんばってくれたと勝手に思っている。
先日の、 太田選手のブログ「lance」で、太田選手ご本人がプレーしたさかつくの話で、「 ちなみに自分は33歳で出てきたのでソッコー売りさばきました(笑)」と書かれているのを見て、笑ってしまった反面、ちょっと複雑な気持ちにもなったわたしがいます。
ウチのチームが獲るまで大変だったんだぞ、売るなよ・・・。
続きます。
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少し間が空いてしまったが、前編を読んでない方は 前編からどぞ。
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2001年の天皇杯で、初めて太田選手を見て、勝手に大注目選手にしてしまったわたし。
あんな小さい選手が、Jの舞台をかき回してくれたらどんなに楽しいだろう。
それが出来るスピード、スタミナ。そして圧倒的な存在感。それを感じることが出来たのだ。
弱冠20歳の選手だ。やってくれるはず。
そう思った。
2001年の甲府での成績は、リーグ戦43試合出場11得点(J2)。
失礼な言い方だが、当時J2のお荷物的存在であったヴァンフォーレのFWだったのである。驚異的な数字だった。
数字以上に、あの初観戦で、ゴール裏にいたわたしの席の前に突っ込むような勢いでプレーした太田にほれ込んでしまったのだ。
しかしその後、この甲府で結果を出したことで、太田は所属元のエスパルスにレンタルバックされる。
そこから、わたしの個人的な、情報の冬の時代がやってくる。
当時、大学を卒業するかしないかという時期だったわたし。
TVは何とかあるが地上波がやっと。
ネットは見ることが出来たが、当時は今ほどサッカー情報はあふれておらず。
まだブログなんてものも無かった(と思う)。
スポーツ誌のサイトとかでスタッツを見るのが楽しみだった。
ジェフの情報を見た後、エスパルスの情報を見る。
なんとか交代選手だけでなく、ベンチ入り選手まで載っているサイトを探し、ベンチにいるか見るのである。
あー今日もいなかった。
あ、今日はベンチにいる。
お、今日はちょっと出場した。
と、こんな感じの情報だった。
当時のエスパルスの主力がどんなメンバーだったのかは正直覚えていない。
エスパルスについて当時の私が欲しかった情報は、太田が活躍できたかだけだったのだ。
ここ数年の清水のメンバーを考えてみる。
サイドハーフは小野伸二、藤本淳吾、FWならヨンセン、岡崎慎司、高原直泰という名前が浮かぶ。
おそらく2002~2004年くらいでは、安貞桓、澤登、アラウージョ、平松あたりがレギュラーを争った選手だろう。
そんなエスパルスというチームで太田が出場するのは容易ではなかったようだ。
情報の冬の時代が続いたのであった。
ただ、太田という選手は必ず表舞台に来てくれると信じていた。
2004年だったろうか。プレステの「さかつく」を買った。
わたしの出身地である習志野市に、「コリエンテ習志野」というチームを作った。
始めて取った選手はUAE国籍の外国人FWだったが、2人目はエスパルスから『太田圭輔』を引き抜いた。
わたしはジェフファンであるにも関わらずである。
”我が”チームの『太田圭輔』はJ1得点王となり、”我が”「コリエンテ習志野」はJ1で優勝を果たしたのであった。
その後、ゲームには飽きてしまったので、”我が”チームの『太田圭輔』は引退するまで”我が”チームの主力としてがんばってくれたと勝手に思っている。
先日の、 太田選手のブログ「lance」で、太田選手ご本人がプレーしたさかつくの話で、「 ちなみに自分は33歳で出てきたのでソッコー売りさばきました(笑)」と書かれているのを見て、笑ってしまった反面、ちょっと複雑な気持ちにもなったわたしがいます。
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